漫画家志望の痛い日記

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(ネタバレ注意)加賀野健太先生作『KAKASHIスクラッパーズ』感想20160610少年ジャンプネクスト!!2016vol.2掲載

前の『フダツキ』の感想から
二週間は空いてますね…
 
このペースだと全部の感想書き終わる前に
次のネクスト(GIGA?)が発売してしまうのでは…
 
 
急ごう笑
 
 
 
というわけで感想に移りたいんですが
 
いつもこの辺りに僕が書いてる
文章力の欠片もないあらすじ紹介について
 
読みづらい上に
そもそも不要ですよね笑
 
 
内容思い出してもらおうと思って
書いてたんですけどね
 
 
ここの感想読んで下さってる方は
みなさんネクスト買ってるだろうし
 
 
 
 
 
なので
今回もあらすじ(というか大体の内容)は
一応書くんですが
かなり簡単な紹介にしておきます
 
 
 
『KAKASHIスクラッパーズ』の内容は
 
人間のヒロとカカシロボットのボボロの
SF友情バトル漫画
 
 
ですね
 
 
 
率直な感想を書くと
個人的にはあまり面白いとは思えませんでした
つまらなくはないけど…
 
 
というわけで
その理由を
これら4つの項目で説明します
 
 
人工知能への感覚の違い
②すんなり友達になる違和感
③それを友情とは言わない
④世界観とキャラクターのズレ
 
 
今回はちょっと長いです
 
 
 
まず「①人工知能への感覚の違い」から書きます
 
みなさんは最近の人工知能(AI)について
どれくらいご存知ですか?
 
人工知能とは言葉の理解や問題の解決を人工的に作り出した
学習機能を持つプログラムに行わせる技術で
 
今回の「KAKASHI」も
この人工知能のひとつと言えます
 
 
人工知能の技術について紹介している番組や動画を見ると
おそらく多くの人が「こんな凄いことができるのか」という希望と共に「人間がロボットに支配されていくのでは」という恐怖の感情を抱くと思います
 
(人工知能が書いた小説が結構面白いとかいう話も聞きますが
漫画もそのうち…怖い笑)
 
 
しかし
 
「KAKASHI」に支配されて10年たった世界に住む
この漫画の中のキャラクター達と
今の時代に生きる僕らの感覚はかなり違っています
 
 
「カカシに話しかけられても返さない」
という注意文をヒロが読む場面がありますが
僕らの感覚からすれば壊れたロボットが何を話そうが
基本的に全部無視しますよね
 
他にもロボットの生首で驚く人間もいないでしょう
(あれは生首に驚いたというより
ロボットが自分の所にやってきたことに驚いたのかな?)
 
 
 
 
この違いは何か?
 
 
 
それは
 
『僕らは「KAKASHI」を「壊れたロボット」と認識しているが
ヒロ達は敵の「種族」として捉えている』
 
という部分ではないでしょうか
 
 
 
正直ここはヒロと読者の距離を
大きく遠ざける要因になってしまっているような気がします
 
こういう『ターミネーター』のような設定を使うなら
キャラクターの感覚を観客にある程度揃える必要があるかなと感じました
 
 
 
 
次に「②すんなり友達になる違和感」について
 
 
僕は今回の読切を読んでいて
HUNTER×HUNTER』のイカルゴを思い出しました
 
「キメラアント」も人間の知恵を吸収して成長する「種族」で
人工知能との違いは人間に「支配の恐怖」しか
感じさせないところだけです
(「KAKASHI」も希望を感じさせないけれど)
 
 
そんな「キメラアント」のイカルゴと人間のキルアとの
友情の成り立ちは実に自然で説得力があります
 
 
ですが今回の読切にはこの説得力が足りないかなと思います
 
 
互いに敵対する「種族」なのだから
最初はもっと警戒して接するべきだし
 
この内容なら戦いの最中に友情が生まれるのが
自然だと思います
 
仲良くなるのにもっと紆余曲折あるべきですよね
 
 
 
 
 
次に「③それを友情とは言わない」について
 
 
恋愛物語で主人公に好きな人がいるのに
それを主人公が妥協して他の人と結ばれて
終わりを迎えたらどう思いますか?
 
 
「妥協するなよ!」ってなりますよね
 
 
友情物語でも同じでその友達でないと駄目なんです
 
友達ができれば誰でもいいわけじゃないんです
 
 
今回の読切では確かにヒロとボボロが
友情を確認しあって終わりますが
 
ヒロがボボロを助けに行った理由が
「友達なのに助けに行かなくていいのか?」
という義務感であるのが納得いかないです
 
「友達だから助けなきゃ」じゃなく
「ボボロじゃなきゃ駄目だから助けたい」という思いで
助けに戻ってほしいです
 
 
 
 
というかヒロは逃げた直後に
「カカシ同士で仲良くするのがいい」って思ってるけど
あそこからどう仲良くなると思ったんだろう…?
 
ボボロ死んじゃうと思うんですが
 
 
「カカシ同士何とかなる」の意味も明らかに
「カカシ同士だから話し合えば解決できる」
ってことじゃないですよね
 
 
うーん…
 
 
 
最後に「④世界観とキャラクターのズレ」
 
 
ストーリーというのは大抵
キャラクターの悩みや問題を解決する過程を描くものですよね
 
夢達成の過程の場合も多いと思います
 
 
この「悩み」「問題」「夢」というのは
そのストーリーの世界観(設定)と密接に関わっていて
 
 
例えば
 
ドラえもん』でいえば

未来から便利な道具を出すロボットがやってくるなら
主人公は道具がないとやっていけないキャラクターにして
最後にそのロボットに頼らなくてもよくなるという成長を遂げる
 
とか
 
進撃の巨人』でいえば

巨人に生きる場所を奪われ壁の中に人類が閉じ込められた世界なら主人公は外へ出るための戦いへ向かう
 
という感じになってますよね
 
 
 
こうなっているのは
主人公の「問題」と世界観がうまく噛み合っていることで
主人公の「悩み」の解決がこのストーリー自体のゴールと
一致し物語の収束がうまくいくからです
 
 
 
 
ですが今回の読切では
 
冒頭の世界観の説明で
「人間は食料にほとんどありつけていない」
という解説が入るのにその次の場面で
ヒロがあまり飢えているような感じがないので
 
ヒロの現状の「悩み」や「問題」が読者に伝わってこないし
共感もできないです
 
 
(「KAKASHI」の占有している食料が
畑や田んぼのものだけっぽいのも読者を混乱させてるような)
 
 
【追加
 
そもそもこの読切の世界観なら主人公の一番の悩みは
必然的に「食料が得られず死にそう」というものになるはずであり
今回の読切のテーマの友情を描くための
「友達がいない」というヒロの「悩み」に
読者が共感しにくいです
 
例えば
「食料を分けてくれる友達が欲しい」というように
主人公の「悩み」を少し世界観によせるだけで
かなり印象が変わってくると思います】
 
 
さらに言えば
 
 
物語序盤で語られた主人公(達)の悩みが
中盤の展開が伏線となって
終盤に解決されるのが盛り上がるのに
 
今回の読切は
 
序盤登場の「悩み」(友達がいない)は中盤で
あっさり解決していて
 
次の新たな「悩み」(友達を守る力がない)が終盤手前で発生し
終盤にそれを解決する流れになっている
 
 
 
 
 
『フダツキ』でも思ったんですが
主人公の悩みが終盤直前で明かされ
それを終盤で急遽解決する流れは
感情の盛り上がりに欠けると思います
 
(『フダツキ』ではクライマックス直前まで
主人公に何の「悩み」もなく話が進んでしまっています)
 
 
この設定で友情ものを描くなら
 
終盤で
敵対する「種族」との生まれるはずのない友情が
主人公達に生まれるという展開がよかったのではないでしょうか
 
 
多分「害獣(人間)のための進化」を描くための
この設定でありこの世界観なんだと思うんですが
それが逆に読者には飲み込みづらいんじゃないかなと感じました
 
 
それなら「力が欲しい」という部分を最初から
描く必要があったと思います
 
ヒロなら飢餓で友達を亡くしているとか
 
ボボロならKAKASHI同士の力比べに
友達が巻き込まれ死んでいくのを助けられなかったとか
 
こういう掘り下げがあるとよかったんじゃないでしょうか
 
 
 
 
感想は以上です
 
 
 
 
 
やたら偉そうな文章な気がするな…笑