漫画家志望の痛い日記

漫画家を目指す方や漫画好きの方と意見交換できたらなーと思ってますコメント待ってます

(ネタバレ注意)古屋樹先生作『Vの悪魔』感想20160610少年ジャンプネクスト!!2016vol.2掲載

前回の感想からまた2週間ですね…
ペースを上げるとは何だったのか笑

でも前回の『KAKASHIスクラッパーズ』の感想は
考えを整理しきれないまま書いて
後悔してるので妥協もしたくない…

最後の部分で書きたいことが多過ぎて
長い上に分かりにくい文章になっちゃってたんで

ちょっと書き加えたりもしたんですが
余計にややこしくなって…笑



今回こそは頑張って綺麗にまとめたいと
思ったんですが…今回も長いです
読む場合は覚悟して読んでくださいすいません


では感想いきます!


今回の読切の内容を一言で説明するなら
ヒカルの碁』の基本設定を取り入れたバイオリン漫画
ですね

(『ヒカルの碁』の基本設定は…

現代に生きる無目的な少年と
昔のある競技の天才の幽霊の物語
その競技による事件で亡くなった幽霊はまだ競技に未練がある
その幽霊にとりつかれた少年は
仕方なく競技を始めるが
そのうちその面白さに見せられる
(競技は現代の大勢がよく知らないマイナーなもの)

というような感じ)


別に『ヒカルの碁』のパクリだなんて
言いたいわけではないです

この設定自体もそこまで珍しい設定でもないですし
それによりよい設定というものは引き継がれていくものですからね

(前のネクスト最後の『CROQUIS』の感想で
「これは『NARUTO』に似てて駄目!」みたいな
的外れなこと書いてたの思い出して恥ずかしい…)


でも逆に同じ設定で完成した作品があるからこそ
ハードルが上がるのでそのまま描いても面白くくならないし
扱いが難しいと思います


特に『ヒカルの碁』はアニメにもなったヒット作で
どうやっても比べられてしまいます


正直今回の読切は
ヒカルの碁』と似過ぎているために
無理に変えた部分があだとなって
面白くなくなっているかなと思いました




より細かく以下の3つの項に分けて説明します

①「夢を持つ素晴らしさ」の表現
②主人公と幽霊の分担
③マイナー競技を描く



①「夢を持つ素晴らしさ」の表現

この漫画に登場するキャラクターは大きく2つに
分けられると思います

それは「夢を持っているキャラ」と「夢を持たないキャラ」です

当然主人公のミコトは後者です
大家さんもそうですね
一方で有美やゼノビアは前者に分類されます

この漫画の見所はやっぱり主人公のミコトが
この「夢を持たないキャラ」から「夢を持っているキャラ」へ成長する所ですよね

(主人公の音楽の才能が凄い!という部分は
冒頭で耳がいい設定を伏線として出してるので
あまりにバレバレで見所とは言えないですよね

逆に弦を切って演奏がうまくなるというのは
唐突過ぎて読者を混乱させるだけで
これも見所とは言い難いです)


その「夢を持っているキャラ」への成長を描くには
「夢を持つ素晴らしさ」をしっかり表現しなければ
読者はついていけません

つまり
有美やゼノビアを人間的に素晴らしいという
ことを表現しなければこの読切は面白くならない
ということです

しかし
大半の方が読んでいて思われたでしょうけど

有美の教室を続けられない理由が家賃の滞納という
自業自得である上に

そこで大家さんに怒りを向けるゼノビアの理屈もおかしい

など全くこの表現ができてないです
これだと夢を追う人間が現実の見えない人間のように見えます


読切なので内容を短くするための工夫かも知れないですが
やはりここは違う演出にすべきだったと思います

そもそも素人の主人公に教室の未来を預ける設定に
無理が感じられるのでもう少し小規模な話にするのが
いいかなと思います

例えば…
バイオリンとなんの関わりもないミコトが
ゼノビアに無理矢理連れてこられたバイオリン教室で
生徒達の姿勢に感銘を受けてバイオリンを始めるとか…

…これじゃ塔矢アキラを生徒に変えただけで
ヒカルの碁』の展開と同じですね笑

でもこの設定だと『ヒカルの碁』から抜け出せない…





②主人公と幽霊の分担

この読切の『ヒカルの碁』と大きく違うなと思った所は
「2人で競技に挑む」という所ですね

ヒカルの碁』だとサイが碁を打つときは
ヒカルが指示を受けて碁石を碁盤に置いていますが

基本的に1回の対局を2人で相談して碁を打つことはなく
ヒカルの実力がサイの碁に反映されることはないし
その逆もまた然りです

ですが今回の読切は
2人が片腕ずつ分担して演奏を行う
ということをしています

これは演奏が素晴らしいときや逆に酷い出来のときに
どちらの実力もしくは責任なのか
分かりづらい演出だなと僕は思いました


ミコトの演奏が凄いと言われても
素人がそんなに急に上手になるとは思いにくいし
ゼノビアの実力なのでは?と考えてしまいます

それにミコトとゼノビアの友情物語という要素が
あるわけでもないのでミコトが主人公のこの物語で
山場にゼノビアが演奏に入ってくると正直邪魔に感じました

ゼノビアにも一人の観客でいてほしいというか…
ミコトの成長した演奏が見たいのに…



(そもそもこういう競技を扱う物語では

精神面での成長が競技の実力面での成長に影響し
勝利をおさめてハッピーエンド

という展開にするのがスタンダードで

こうすることで主人公の人間的な成長を描くという部分と
競技の面白さを描くという部分がシンクロするので
すっきりスマートにまとまる上に
読者も展開に納得しやすいので心に響きやすいので
いいんですが

今回の読切では
「主人公が実は天才で弾いてみたら出来た」という展開になっていて
ちょっと雑ではないかなとも思いました)







③マイナー競技を描く

ヒカルの碁』には

「昔の人間が現代の人間に実力が劣らない
それどころか昔の棋士が最強と言われるような競技だから
サイというキャラクターが魅力的に描けること」や

「ヒカルと同世代で
かなり碁が強いキャラクターを出せること」

「キャラ同士が競技を通して対話をしたり
相手の凄さを理解できる対戦競技であること」

など
題材に「囲碁」を選ぶことによる面白さがありますよね



ヒカルの碁』に限らず人気のスポーツものや
競技を描いた作品には「その競技である理由」が絶対あると思います

『ハイキュー』だったら
「ボールを繋ぐ」というチームワークを強調した演出ができる
とか


ですが
今回の読切のような内容だとそれがないので

(ジャンプネクストvol.1の『ケンパトリック』で
ハンドボールがハイブリッドスポーツだ」
と説明されたときにも思ったんですが)

別にこの題材でなくてもいいのでは?
と感じてしまいます



「弦を切る」という演出を可能にしていると
言えるかも知れないですが
これはおそらく
普通のバイオリン奏者のすることじゃないですし…


読者の多くがよく知らない題材を描くという面において
あまり奇抜なことをされると
ただでさえ伝わりにくいのに余計に伝わらない上に
読者がその題材に対して間違った知識や考えを持つ可能性も
十分にあると思います

折角読者と主人公が同じ立場でその題材に
入っていってるのに
突然応用編について話されると
主人公をバイオリン初心者にする意味がないです



そもそも物語というもの自体が

当然そうなるであろうことを積み重ねて
どんどん次の展開に繋げていき
その果てで最初には予想もしなかった展開に発展させることで
読者にその展開に納得させながらも
意表をついて感動させる

というような性質をもっているので

その題材の「あるある」というか
常識の範囲で展開を広げるのがいいのかなと思いました

(…ジャンプではいろいろな競技を
かなり奇抜に描いてきているので
今さら別にいいのかもしれないですが…


絵の説得力はあるんだけど…
やっぱり理屈は欲しいです



僕の中では

理屈度外視の超展開が続いて納得できない
2回目の「理屈じゃない」という台詞を読む
「理屈もある程度必要ではないか」と思う
別に理論的に変でも何でもないゼノビア
「歓声を受けたら病み付きになるから演奏をやめられない
何か目的があるわけじゃなく理屈じゃない」という主張にも何だか納得できない


ということすら起きてました笑



以上の3つが今回の読切で
ヒカルの碁』から無理に変えたことで
面白くなくなっている部分だと思いました


よって今回の読切についての僕の一番の感想は

バイオリンについてもう少し
取材を進めてから描くべきだったのでは?」

ということですね

取材が少ないために個性が出せず
ヒカルの碁』の設定に振り回されてる感じがします


そもそも『ヒカルの碁』のこの設定が
あの作品で完成形になってると思うので
やめた方がいいと思います



全く新しい設定にするか
昔からよくあるようなもう少し個性の薄い設定にするか

せめて『ヒカルの碁』の設定に新たに
何か描く余地を与えるような設定を加えて
少し変化させてみるとかでないと

「劣化『ヒカルの碁』」か「『ヒカルの碁』のパクリ」の
どちらかに絶対なってしまいます
これは避けられないです



「設定を少し変える」というのは
キャラクターの置き換えをストレートにし過ぎないとかですかね

キャラの役割に目をやって
それを果たせる別の立場のキャラに置き換えてみるとか

例えばサイの役割は幽霊であることではなくて
ヒカル(や読者)に囲碁の面白さや楽しさを伝えることだから
バイオリンの先生とか学校の先輩にしてみるとか

もっと別の立場のキャラクターを用意してみるだけで
先の展開も『ヒカルの碁』にはない広がりが出るんじゃないかと思います



最後に…
この内容でこのタイトルなのも疑問です

ヒカルの碁』に「サイの碁」って
タイトルをつけてる感じを受けます

ミコトを「悪魔」だって言ってるのかな…?